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形而上学とは?

「スピリチュアル」という言葉。

日本では霊感や占いを連想させるイメージが定着していますよね。

その本当の意味をご存知でしょうか?

「スピリチュアル」とは「スピリット」の形容詞。

「スピリット」とは、「すべての生き物の中にある生命の根源、本質」を意味します。

スピリットは目に見える肉体や物質とは異なる、目に見えない存在です。

実は、自分の本質であるこのスピリットときちんと向き合う機会を失った現代社会では、目に見えるもの(肉体や物質)ばかりに気を取られ、目に見えないもの(スピリット、つまり自分の本質)には無関心な結果、生命体として非常にアンバランスな状態で生きている人が圧倒的に多いのが現状です。

私たち人間は目に見える部分(肉体)だけでできているわけではありませんので、死んだら終わりではありません。

 

だからこそ、8000年前に起源を持つ形而上学は、「目に見える部分である肉体、目に見えない部分であるスピリット、そして肉体とスピリットをつなぐ魂について教えてくれる古代の知識を生活の中で活用することは、バランスのとれた人間として生きるために非常に重要である」と教えてくれるのです。

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私は長年、スピリチュアルなものに対して非常に懐疑的でした。

​また、スピリチュアルな世界に傾倒する人に対する偏見も相当なものでした。

実際、日本で「スピリチュアル」という言葉から思い浮かべるイメージは、特定の宗教団体や、人を洗脳し内面をコントロールするようなネガティブなものが少なくないのは紛れもない事実です。

このように、世の中に氾濫するスピリチュアルな情報に対して、「怖いなぁ」「胡散臭いなぁ」と今でも不信感でいっぱいの私ですが、一方で、年を重ね、いろいろなことを経験する中で、ようやくある事実にたどり着いたことも事実です。

それは、「目に見えない世界=スピリチュアルな世界」から目を背ける人生は、一生、恐怖と不安の中で生きる人生であり、自分が何のために生まれてきたのかも知らないまま生きる人生であるということでした。

8000年前にヘルメス・トリスメギストゥスが始めたミステリースクールとの出会いは、「スピリチュアルな世界」に対する私のいくつもの偏見を取り除き、“スピリチュアルの本質”である「形而上学」を知らずに生きている限り、人生の真の喜びに気づくことはなく、苦しみや悲しみ、恐怖、不安などの本質を理解できないまま、それらに翻弄されて人生を過ごし続けるのだということを教えてくれました。

残念ながら、8000年以上も前から脈々と受け継がれてきた形而上学は、世界でも一部の人にしか浸透していません。

ミステリースクールで継承されている形而上学は、インターネット検索や書籍、一般的な学校教育では学ぶことができません。

それは、人類の歴史の中で長い間、意図的に隠されてきた知識だからです。

人類にとって最も有用な知識は、一般大衆にもたらされることなく、王族、貴族、神官などの支配階級に属する一部の人々によって独占されてきました。

形而上学の別名は「帝王学」です。

帝王学というと、王や女王として統治する術を指すと思われる方もいるかもしれませんが、王侯貴族という限られた特権階級の間で8000年前から密かに受け継がれてきた、宇宙の原理に関する教えのことです。

数千年にわたり「帝王学」として機能してきた形而上学は、人生の深い意味や目的を理解するために、私たち人間が何としても習得しなければならないものであることは間違いありません。

「私は科学しか信じない」と言う人がたまにいますが、その科学も形而上学から生まれたものです。

20世紀末に『ノーモア・シークレット』としてようやく一般に開示された「人類が本当に知るべき知識」である形而上学は、今や日本を含む世界60カ国以上に広がり、その習得を希望する人は目覚ましい勢いで増加しています。

 

誰もがこの世界で唯一無二の存在であることを実感しながら、自分の可能性を最大限に発揮し、喜びと希望を持って生きるために、新しい扉を開いてみませんか?

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