話題の映画「関心領域 The Zone of Interest 」が全国の映画館で上映中です。
私も先日観てきました。
観た直後よりも、翌日からじわじわとさまざまな思いが押し寄せてくる、そんな映画でした。
この映画は、第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所の所長を務めたルドルフ・ヘス(Rudolf Höß)と妻ヘドヴィッヒ、彼らの子供達、そして近親者らが収容所のすぐ隣の敷地で、どのように暮らしていたかを描いています。
ポーランド南部に位置するアウシュヴィッツ強制収容所は、ナチス・ドイツ最大の強制収容所で、約110万〜150万人がここで殺戮された、と言われています。
殺戮された人々の90%はユダヤ人だったと言われており、ナチスの強制収容所の中でも最も凶悪なものとして、アウシュヴィッツはホロコーストの象徴的な場所とされています。
「関心領域 The Zone of Interest(ドイツ語:Interessengebiet)」というのは、アウシュヴィッツ強制収容所周辺にいたナチス親衛隊(SS: Schutzstaffel)のために確保された領域を表すために、ナチス占領軍が使用した言葉です。
ホロコーストを題材にした映画は数多く見てきましたが、この映画はそれまで見てきたものとはまったく違う印象を私に与えました。
ホロコーストを描いた映画のほとんどは「被害者の視点」で作られることが多く、「加害者であるナチスの人間」はほぼすべて、冷酷で情け容赦がなく、無感情で恐ろしい、完全な悪役として描かれることが多いのです。
ルドルフ・ヘス、その妻ヘドヴィッヒ、その母親、軍人など、この映画に登場するナチスを支えた人々は、今日私たちがよく見かける人々とさほど変わりはありません。
彼らのように、強い者にはひれ伏し、人から尊敬されようとするくせに、弱い者にはまったく敬意を払わず、人を見下している人が、今の世の中にもたくさんいます。
彼らは、強者に見えるヒトラーという”社長”を無条件に称え、彼の言いなりになり、彼の望むことがあたかも自分たちの望むことであるかのように振る舞い、彼に嫌われないように気を配り、より多くの成功を収めることで高い評価をもらい、昇進し、自分の理想とする充実した人生を送ることを夢見ている、ごくありふれた人たちです。
この映画には、容赦なく人々を追い詰めるナチス兵士やゲシュタポ(秘密警察)は出てきませんし、人々が拷問されたり殺されたりするシーンもありません。
私たちが目にする主なものは、豊かな自然、食卓に並ぶおいしい料理、家族思いで職務に忠実な父親、ガーデニング好きで虚栄心の強い母親、無邪気な子供たち、怯えた表情で黙って彼らに付き従う使用人たち、そして収容所の煙突から四六時中立ち上る煙です。
彼らが暮らす屋敷の塀の向こう側からは、銃声、怒号、人々のうめき声、絶望の叫び、助けを求める声が絶え間なく聞こえてきます。
映像はなくとも、収容者たちが過酷な労働と拷問を強いられ、まるで屠殺される動物のように日々大量に命を奪われていることが手に取るように伝わってきます。
その大量殺人を積極的に推し進めているのが家族想いで、仕事熱心なルドルフ・ヘスです。
彼は自分に与えられた仕事を確実にこなし、成果を上げ、評価されるために努力する、いたって平凡な男です。
出世した夫のおかげで理想の生活を手に入れた虚栄心の強い妻は、その暮らしを手放したくありません。
彼らのライフスタイルは、塀の向こう側で家畜のように無慈悲に扱われ、容赦なく殺される人々とはあまりにも対照的です。
何よりも衝撃的なのは、収容所で行われている残虐行為に対して、彼らはまったく罪の意識を持たず、感情を表すこともなく、関心すら抱いていないように見えることです。
明らかに、彼らは想像力、共感力、そしてそれらを生み出す「自分の頭で考える力」を完全に失っているのです。
厄介なのは、彼らは家族や同胞を第一に考え、国民を守り、命令に背けば逆に自分の命を失わなければならなかったから、そうせざるを得なかったのだと考える人がいることです。
そこで、私たち人間が過ちを犯さないために、しっかりと心に留めておかなければならない重要なことがひとつあります。
それは、私たち人間が属する宇宙の高次の視点から見れば、「自分や家族、仲間の利益と幸せのためなら、他の人間の命や自由が奪われても、あるいは奪っても構わない」という考え方は、身勝手さと利己主義に完全に支配されている人間の最低の姿を表しているということです。
では、なぜ彼らはこんな姿になってしまったのでしょうか?
それは、彼らが「自分の頭で考える力」を放棄してしまったことが原因です。
「自分の頭で考える力」を放棄したことによって、強制収容所にいる人々にも愛する家族がいること、理想的な人生への願望とそれを実現する権利があること、尊い命と尊厳があること、そして何よりも自分たちと同じ人間であることを、彼らはもはや思考することすらできなくなってしまったのです。
この「自分の頭で考える力」は「意志の力」と言い換えることが出来ます。
ナチスの蛮行が促進された大きな要因として、権力者の強い意志に盲目的に従った一般大衆と言われる多くの「平均的な人々」の存在が挙げられます。
世の中のほとんどを占める「平均的な人々」というのは、常に、恐怖心の方が勇気を上回っています。
そのことが致命的な弱点となり、「平均的な人々」は自分自身の「意志の力」をほとんど発揮せずに生きていると言っても過言ではありません。
恐怖心に駆られ、惰性で生きている人は、自分の「意志の力」を発揮することを簡単に諦め、自分よりも強い「意志の力」を発揮できる誰かを頼り、その人に自分の「意志の力」を肩代わりしてもらっているのです。そうすることで、完全にその人の「意志の力」の支配下に置かれ、自分の意志の力は放棄してしまうというわけです。
「長いものには巻かれろ」ということわざがありますが、まさにそれを実践しているのが「平均的な人々」なのです。
ルドルフ・ヘスとその妻ヘドヴィッヒもまた、「長い物には巻かれろ」を実践した人々だと言えます。
自分の意志の力を完全に放棄し、ヒトラーの考えと意志をあたかも自分のものとして受け入れ、その結果「自分の頭で考える力」を完全に失い、ヒトラーの操り人形のように生きることを選んだのです。
時代が変わっても、「意志の力」を自分より強い者に委ねる人はあとを絶ちません。
これを読んでいるあなたは、「私はいつも自分の意志の力で行動している」と思っているかもしれませんが、時には立ち止まってよく考えることも必要です。
その意志が本当に自分自身のものなのか、それとも本、新聞、インターネットから借りてきたものなのか、あるいは誰かの意見や暗示によって刷り込まれたものなのか、常に見極めることが重要です。
人は誰でも「自分の意志」を持っています。
この「自分の意志」の力を自分自身で発揮するために大切なことは何でしょうか?
自分の意志を他人の意志に委ねないことです。
では、どうすればいいのでしょうか?
あなたが何かを恐れているなら、その恐れを克服するために勇気を発揮する必要があります。
すぐに答えを外に求めたり、誰かに頼ったりする傾向がある人は、まず自分の頭で考える努力をすることが大切です。
そして、私たち人間の多くが、強い意見を持つ人、恐怖を煽り、人を自分の意のままに動かそうとする人に、意志の力を委ねがちであることを自覚しておく必要があります。
恐怖に打ち勝つ勇気を奮い起こし、他人の意見や印象に振り回されることなく自分の頭で考え、行動し続ける努力こそが、「意志の力」を発揮し、真の人生を歩むことにつながるのだということを、偉大な先人たちは常に私たちに教えてくれています。
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